乗馬での事故

昨日の土曜日はいつも通り馬に乗りに行きました。駆歩(カケアシ)で、馬は前回も乗ったアレキサンダー。駆歩でていると思っていたら実は出ておらず。誤魔化し駆歩にだまされました。以前と同じく大王に鞭打ち&キックをかまし何とか走ったようです。走ったというのは教員に指摘され気づきました。自分では誤魔化しと本当の区別がまだつきませんでした。難しいものです。
珍しく知っている顔がいない日でしたが、以前、知り合って最近みていなかった女性に出会いました。その女性は若いのですがかなり上のクラスで、以前から上手い人という印象がございましたが、最近、お目にかかっておらずどうしたんだろうと思う時もございました。お話をうかがった所、今年の2月に乗馬の障害(棒を飛び越える競技)の練習をしていたところ、ちょうど飛び越える時に体の位置が後ろ側に傾いてしまい着地時に衝撃を逃がす所がなくなりそのまま衝撃が首にきてしまったということ。痛みが後々まで残り医者にみてもらった所、首の椎間板ヘルニアで一生直らないと宣言されたそうです。びっくりしました。日常生活には影響ないようですが、雨の日などは首の骨が重くなるような感覚に襲われるそうです。
現在は、乗馬はなるべくしない方がいいとの事ですが、そんなに負担のかからない乗り方だったらということで、用心しながら乗っているそうです。
あれだけ上手かった人が、乗るのが恐くなったという事を聞いて、気の毒にと思いました。
それと同時に自分も障害競技はしておりませんが、いつなっても、おかしくはないと思いました。
スーパーマンのクリストファー・リーブが乗馬事故で体を動かせないようになったことは有名ですが、身近で災難にあった人が出てくると人事ではない気がします。
好きだった乗馬を急に今までどおりにできなくなる辛さはそうとうなものだと思います。
しかし、それでも馬を憎まずけなげに乗り続けている姿を見ると、頭がさがります。
頑張ってください。
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# by yururitositarou | 2005-07-11 00:35 | 乗馬

大自然の空気を感じる「大いなる西部」

先日の日曜日、DVDで「大いなる西部」を観ました。初めてではなくもう何度も観ている映画なのですが、急に観たくなる時がありまして、半年くらい前、DVDを探したのですが、どこにも売っておりませんでした。しかし、いつの間にやら安い価格で売り出しているのを発見し、迷うことなく買いまして、それで安心したのか買ってから今まで3ヶ月ぐらい置いたまま状態でした。日曜日に急に見たい衝動に駆られ部屋にある小さな14インチのテレビで見ることにしました。確かに14インチはこの映画にとっては小さすぎます。小さい頃、大迫力に感じたソール・バスのデザインに生茶の音楽が流れるオープニング・タイトルはそれほど迫力を感じませんでした。やはり、大画面で観る映画です。
しかし、話は面白いので楽しむ事はできました。
この映画は結構思い入れが強い映画で、中学か高校の1年の頃初めて観たのですが、かっこいい男像の価値観がこの映画で少し変わったような気がいたします。この前に「シェーン」という名作もありましたが・・・
普通、男の子のかっこいいイメージはスーパーヒーローのように単純に力が強いというイメージですが、この映画のグレゴリー・ペック演じる主人公は少し違います。主人公の設定は東部から来た船乗りです。その男が西部に来て西部の男ってのはと男らしさ自慢の標的にあいます。
まあ、主人公の被っている場違いな帽子を見ると西部の男の気持ちも理解できそうです。ですが、主人公は馬鹿にされたからといってむやみに鉄砲撃って反撃したりしませんし、復讐するのも反対です。いわゆる人前で力を誇示しないかっこよさなのです。誇示しないがために婚約者からは意気地なしに見られてしまいます。しかし、見えないところで与えられた試練をすべてクリアーしていくのです。クリアーしてもあえて、それを自慢げに言ったりしません。なので、やわな奴とまわりに思われ、終いには婚約者からはそっぽを向かれますが、そんな事は気にしません。そんな小さなことにこだわらないで自分の大きな夢に着実に進んでいきます。それを理解できない婚約者は結局のところ西部の常識に凝り固まった頭しか持ってない、所詮その程度の女性なのです。で、主人公はまわりに流されないで信念をもってすすんでいきます。周りの人間が外面や面子にばかり縛られて生きているのが馬鹿っぽく見えてきます。
物語の大きな筋は二つの家の勢力争いですが、これも、結局は二つの家の主人同士、個人2人の意地の張り合いに、周りを巻き込んでしまっている構図です。国と国との関係にも通じる物があるように思えます。
そんな二つの家が喉から手が出そうなほどほしがっている水場がある土地を父から受け継いで持っている女性(ジーン・シモンズ)がおりまして、その女性も二つの家の争いにうんざりして、どちらの家にもその土地を売り渡そうとしませんが、主人公に対しては共感した気持ちになり、いとも簡単に売り渡してしまいます。
まあ、ストーリーはこれくらいにして、見所はその他にもいろいろあります。まず、私自身が馬に乗るようになってから観たのが今回が初回ですが、前半馬車に乗った主人公が対立する家の息子4人に馬で襲われるシーンがあるのですが、そのシーンにものすごい乗馬シーン(見方によってはこいつら馬鹿か?と思えます)があり、あれはどんなに練習してもできない、いや、やりたくないとつくづく身にしみて感じました。これほどの乗馬シーンは最近の映画では観られなくなりました。
その他、チャールトン・ヘストンと延々と殴りあうシーンもなんとなく味わいがあります。凄い殴りありの割には顔が全く腫れてません。
3時間近い長さの映画ですが見所が色々あり、飽きさせません。
水場でのグレゴリー・ペックとジーン・シモンズのシーンもなんとなく心地よい雰囲気で印象的です。所々、映像が綺麗です。
敵対する家の親父役のパール・アイブスという役者さんがアカデミー賞取りましたが、確かに人間味があり印象に残ります。私的には、その息子役のチャック・コナーズに1票入れたい気もします。
まあ、しかし、今の映画に見慣れている人にとっては、面白い映画であるのだろうかとも思います。もしかしたらこんな退屈な映画どこが面白いの?などと言われそうです。
まあ、西部の大自然の空気を感じてみるには、いい映画だと思います。最近のCGを駆使した映画よりは開放的で新鮮な空気を感じまして、その点は心地よいと思います。大画面で見たい映画です。
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# by yururitositarou | 2005-07-05 02:23 | 映画

小池真理子著「怪しい隣人」

小池真理子著「怪しい隣人」集英社文庫、読み終えました。
一編40ページほどの話が6つ入った短編集です。この本もかなり読みやすかったです。
日常の家族などの付き合いを通して話は進みます。一見、純文学のような日常生活を描いた小説かと思えるように淡々と話が進むのが多いですがどれもが徐々にあるいは最後に恐ろしい様相を示して、読み終わった時はクライムサスペンス小説となっております。
日常生活の描き方は短編であるのに丁寧に描かれているので、その分、非日常が姿を見せ始めると際立った恐ろしい印象を与えます。どれも出だしからはどういう展開になっていくか見当つかないので、非常にわくわくいたします。それと会話と人間の書き方が上手い作家だとつくづく感じました。純文学タッチのクライムサスペンス。それも非常にお手軽に読める長さですので電車の中で読むのには最高にいいと思います。寝る前でもいいかもしれません。松本清張が社会派サスペンスでしたらこの短編は日常派サスペンスです。お手軽ですが読後感はずっしりときます。これも私的にはお勧めの本です。
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# by yururitositarou | 2005-07-04 01:42 |

「火の粉」雫井 脩介著 読後感想

今頃と言われそうで、さらに、最近知ったという時代遅れですが、友人から面白いという情報を得た作家の雫井 脩介(しずくい しゅうすけ)の本で 「火の粉」(幻冬舎文庫)を読み終えました。厚い本ですが仕事帰りの電車の中と寝る前に読んで5日間くらいで、読み終えました。これは私としては早い方です。
読んでいて思い出したのはチャーリー叔父さん主演の「疑惑の影」、ティム・ロビンスの「隣人は静かに笑う」、クリント・イーストウッドの「恐怖ノメロディー」、スティーブン・キングの「ミザリー」などの映画です。これは人によっては違うだろといわれるかもしれませんが、とりあえず読んでいて思い出したのが以上の映画です。しかし、このうちのどれかと同じかというとそうでもないのです。でも、雰囲気分類的には同じかもしれません。

ジャンルは正統派サスペンスです。が、前半では三世代家族の生活が良く描かれておりました。

簡潔に話を説明すると裁判官が一家3人殺害の容疑者に決定的証拠がみつからず無罪を言い伝えるところから始まります。
ここでは裁判官が死刑を言い渡す事に対する心の重圧がわかりやすく描かれております。そして、話は引退した裁判官の家庭が舞台になります。
寝たきりの姑の世話を献身的にする裁判官の妻は、感謝の言葉をもらうどころか、たまに訪れて母の世話をする義理の姉(いやな奴ですが実際にいそうです、彼女の登場で前半は面白いです)にいやみを言われ続けます。
息子は結婚して女の子もおりますが、職を持っておらず父と同じ裁判官を目指す事にしますが自分勝手な生活です。(印象としては義理の姉と並ぶムカツク奴)
その嫁は子供の世話とおばあさんの世話の手伝いなどで色々気を使う生活をしております。

そんな生活を送る家族の隣の家に裁判官から無罪を言い渡された男が住むようになったところから話は徐々に異様な方向へ進み始めます。
で、話は裁判官の妻とその息子の妻の二人の女性の心情を中心に語られていきます。女性心理の描き方は秀逸です。

隣人が現れてから、不気味な事件とまではいかない出来事が起きはじめ、家族関係は徐々にいびつになっていきます。

怪しい隣人です。
しかし、証拠もありません。
悪い奴なのかそれとも、逆にいい人なのか隣人の様子はいつも爽やかなので検討がつきません。
おばあさんの介護を手伝ってくれたり、そのおばあさんが死んでしまった時、香典に30万包んできたり、気持ち悪い親切さです。過剰な親切やプレゼントをされると心は迷惑、しかし、口ではありがたがるしかない心情。自然さがない不気味さ?
日常でもありそうです。はたしてその男は、そんな性格だから、怪しい奴なのかと疑いますが・・・

始めの数十ページを過ぎたら一気にその面白さは加速して行き、中断するのが難しいほどです。良くありがちな話のようですが、次はどうなると気になる事が連打してそれが積み重なっていくので、のめりこめさせる点は超一流です。

その点だけでもこの作家は凄いと感じました。
文章も読みやすく、話の進め方も全くと断言できるほど飽きさせません。
さらに驚いたのが、読み終えた後、作家の経歴を見たのですが(それを調べるのも時間が惜しいくらい話を読み進めるのに熱中してしまったため、読んだ後に経歴を知ることになりました)生まれが1968年と記載されておりました。
私よりも1歳だけ年上なのです。
文学界は若い才能にあふれておりますが、どちらかというと純文学が多そうで、こういうサスペンスもので、読みやすい物を書く作家が、そこまで若いのか(いや私がもうそれだけ年なのかも・・・)と驚きとともに、それに比べて自分はなんなんだと落胆してしまいます。

難点をあえて言うとすれば、ラストが少し物足りないというか、ああ、やはりというか、ドスンとした重みがなく、ありがちな印象を受けたことです。じゃあ、お前が書いてみろといわれても書けないですが。

ただ、話としてはこうするしかないかとも納得しました。
しかし、そこまでに行く過程の描き方は恐ろしいほど上手いので、どうしてそうもひきつけるのかと究明したくなりました。
この作家のほかの本も面白いのか気になります。

今は、「火の粉」流れで、家にあった小池真理子の「怪しい隣人」という短編集を読み始めました。
小池真理子はテレビなどで魅力的な女性と感じておりましたが、本は「恋」だけしか読んだ覚えはありません。
当時、これも飽きずに読め、凄く面白いと感じました。
ジャンルは重厚恋愛ドラマ+サスペンスです。
読後の重量感(満腹感)はかなりありました。
「恋」という題名は買うのが恥ずかしいかとおもいますが、騙されたと思って男子諸君(フランス書院ばっかり読んでないで)にも一読をと、お勧めしてもいい本です。
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# by yururitositarou | 2005-06-30 01:53 |

司馬遼太郎版義経

今日、いやもう昨日ですが、司馬遼太郎著「義経」を読み終えました。司馬遼太郎の本はいつも読んだ後感動するのですが、今回はなんとなくいつもの読後感と違う印象でした。悪く言えばあまり面白くなかったという事ですが、読みやすさは変わりませんし、上下二巻あるので内容も薄くはありません。が、いつもの司馬作品と違うのです。
これは私の印象ですが、所々手が抜かれているような印象を感じました。何か事情があったのかもと勘ぐってしまいます。
上巻は義経の子供時代で母親と別れ鞍馬山に預けられ、その後、鞍馬山を脱出し奥州へ行って、その後、鎌倉で兄の頼朝と出会うまでを描いて下巻では木曽義仲を討ち取る所から、平家との戦いに入っていきます。戦う事に関しては天才的であるのに政治的な事や人の心を察する事ができない為、見放されていく義経像というのがわかりやすく描かれており、また、平家との戦いの様子が一の谷の合戦から壇ノ浦までが映像として浮かんでくるようにこれもわかりやすく描かれております。これらの点はいいのですが、何かが足りない気がするのです。
それらを列挙してみると
その一
日本史のヒーロー的存在である義経がどうも魅力的に描かれていないのです。いつもの司馬遼太郎作品では、主人公は非常に魅力的でそれが作品の面白さの一つとなっております。たとえば幕末が舞台の小説などは、私は先祖が幕府方で会津などにもいた事があるので、官軍はあまり好きに慣れません。特に長州藩などは怖いです。が司馬作品で長州人が主人公の物(花神や世に棲む日日)を読むと主人公達の魅力に引き込まれ何故か長州側にたって読んでいる自分がおり、長州人の考え方なども理解できるような気になります。
しかし、義経はなぜだか魅力がありません。なんとなく自分勝手で人の意見を全く聞かないような人物として描かれております。が、そういう人物だからこそ奇跡的な勝利を数々あげることができたのだろうとも感じました。
その二
義経というと橋の上で弁慶をはぐらかしたり、弁慶の立ち往生など色々ありますが、この本では描かれておりません。多分、うそっぽいからなのでしょう。義経初心者の私としては少し物足りない感じでした。
その三
上巻で少年時の義経(九郎)が京都から逃げて今の岩手県まで苦労しながら逃げていきます。その過程は丁寧に描かれており、面白かったです。その中で、那須与市という同じ年頃の少年と仲良くなります。なんだかんだで事件があって那須与市は追っての兄から義経(九郎)を逃がしてくれます。そのシーンもよく、多分、後々この二人は感動的な再会をするのだろうと余韻を残し読み手の私は期待しておりました。
一部抜粋

「やあ、居たな」
与市はぶなの樹に馬を繋ぎすて、九郎冠者の焚火のそばに寄った。
「好意でひきとめていたのだが、こういうはめになった。詫びる」
「かまわない」
と九郎はいったが、目は涙ぐんでいる。与市の母の家で受けた人の心の温かさが、この若者を涙もろくしていた。生来は甘ったれなのであろう。
「母御に礼もいわずに出てきた。ありがたかったと申し伝えてくれ」
「わぬしは、まこと源家の九郎御曹司なのか。そうならば言葉をあらためねばならぬ」
~省略~
「御曹司、なにも餞(はなむけ)できぬ」
与市はまだ生若くて敬語が使えない。が、心だけは敬仰にみちていた。「せめて」と言いながら馬の手綱を解き、九郎に渡した。


所がです、下巻になっても那須与市は出てくる気配がありません。
しかしです。下巻の半ばに近くなった頃、屋島の戦いという義経軍が平家を奇襲する場面がありまして、そこにやっとのこと出てきました。那須与一。
しかし、なんとその描き方はさっぱりしすぎており、私は期待していた分、愕然といたしました。その描き方は、

その間、高名な那須与市の扇ノ的の挿話がある。
で始まる文で、約1ページぐらいの長さ。与市は台詞もなく、文章はニュースのように淡々と事実を伝えるだけで、感動の再会シーンもありませんでした。あくまで客観的に初めて登場したかのように少し突き放した感じで描かれております。それ以降は全く登場いたしません。
それはある意味衝撃でした。
丁寧に描いている暇がないような印象を受けました。

その四
ラストは数ページで頼朝に追われた義経が京都を脱出し奥州の平泉まで逃げて死ぬまでを描いております。弁慶の立ち往生なんて、描いている余裕などありません。
これだけ長い小説なのにラストになっていきなり光のような速さでさっさと終わらせてしまっております。尻つぼみでした。

以上、この司馬版は初心者向きではなく、多分、義経物語を知っている人向きに描かれている印象です。義経はどういう性格であったかについて描く事が中心になっております。
ですから、これから司馬遼太郎を読んでみようという人は一冊目として義経を読む事は避けた方がいいと思います。司馬遼太郎の本の面白さはこんなものだろうと思ってしまうと大変もったいない気がいたします。ですが漢字を多用せず、読みやすく描いている点は
他の作品と同じく、いいかもしれません。
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# by yururitositarou | 2005-06-23 03:13 |